
学名:Helenium 別名:ダンゴギク 寛容の心
通信の自由に関して、前エントリーでご紹介した件で補足的にまとめてみました。
市側が当ブログに開示請求を出してきたことは、不用意な驚きとしか思えないが、当然のことと思ってのことなのでしょう。その論理の背景には何が見えるのでしょうか。請求の内容に裁判などということが書かれているところをみるとスラップ裁判(日本語では威圧訴訟とか恫喝訴訟と呼ばれている)を意図したものかと思われる。市政の姿勢には何でもありの一端を示しているものと思われますが、一般論としてここ1,2年の出来事からあえて”検証”をしてみると、
- 行政の無謬性を信じるが故の古典的な思考が背景にあるのであろうか。行政のやることに異を唱えるブログや掲示板内容に、形式論としてのプライバシー侵害論を振りかざすことしか考えられないのは、後ろ向きな行政姿勢です。内実を吟味する姿勢が無ければ、何故、市民が掲示板で一見酷いと受け取られる書き込みをするのかを理解できず、市政は協働の推進などできません。市民の義憤に駆られた怨嗟の声はこのような形で表れるのだという思いやりと惻隠の情がなければ、理解はおろか防衛本能しか働かないのでしょう。
- 権力の魔力は、一旦それを握ると謙虚さを欠いた行動に走るものです。また権力が長期化すると、意見提言要望を雑音と考える傾向があることも、何度も歴史的事実が示しています。自治体の経営を民間と同じ発想で考えれば、雑音は正に貴重な経営資源ということでもあり、対峙するものではありません。それゆえ、あまり好きなことばではないが、”おもてなし”の経営理念を掲げている中核都市もあります。
- 北栄1600坪の土地をダイエーに長期賃貸ということでも、予定地から六価クロム、フッ素が検出されたことで、同社が土壌汚染対策法で必要な届出を提出していないとして、県は同社に対して指導されています。地元住民に十分な説明なり和解を図ろうとする姿勢を欠いたつけが回ってきています。
- 土地を不等価で交換する浦安駅近傍の高見ビルと新浦安駅前入船地区のことが議会でも問題視されましたが、これも行政の裁量権の乱用であり、決して長期的将来を見据えた浦安駅周辺再整備のためなどという代物ではありません。不明朗な税金使途での補助金運用、市民に必要な再液状化防止のためのインフラ整備を後回しにした、不要不急で豪壮豪華な庁舎建設、その他、数多ある疑惑、不正も、真の協働姿勢が市政に欠如しているからと思います。
- このような環境を醸成している背景には、長期政権が続く中で、自然と議会と行政の癒着が形成されやすいということが挙げられます。それ故、よく言われる首長の多選禁止を導入すべきだという考えが出てくるのです。市民の意識の底に、どの程度、市民参加で政治を考えようという意識が醸成蒸着しているのか、浦安市民の民力民度が試されているように思います。
- 二つ前のエントリーで「アリスの棘」について触れました。ドラマの話ではありますが、これはどこにでもある構図かと思います。行政に関してはこのようなことは起きない、と思うのが民の考えであれば不幸なことかと思います。しかし、茫洋としてそれを信じて疑わない流れは続くことは無いでしょう。大衆は愚にして賢なりです。羊の顔のマスクの裏側はオオカミだというのがひとの真実です。行政に一定のルールと歯止めをかけるための最低限の枠が多選の禁止であり、それを撥ね除けるからには、献身と自己犠牲に裏打ちされた公正で廉潔な振る舞いが求められるのです。弱き者が割を食う社会、悪知恵に長けた者が地域を制するといった前近代的な悪習に政治は決別する時にきているものと思います。
真の政治には、耳痛い話を真摯に聞くという寛容の心が大切なのではないでしょうか。
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