2「自治責任」

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昨日は「支え合い」すなわち、政治参加のことを書きました。 今回は「自治責任」についてです。

地方自治の本質はこのように考えられないだろうか。浦安市の住民が町に愛着を感じるのは、町に活力ががあり、生き生きとしており、経営的にも独立した自治区の存在だからであると。町に関心を持って行動することは、どのようなカタチであれ、住民がその経営に参加することにほかならないと思います。すなわち自治への経営参加といっても良い。

日本に最初のデモクラシ―の波が押し寄せたのは、明治・大正の時代です。住民は「まち」への愛着に関心を寄せ、主権在民の思想に目覚めた経緯があります。デモクラシー先進国の欧米は「地方自治の諸制度」を生み出してきましたが、その根底には、寄らば大樹の陰ではない「地方自治の精神」があります。彼我の表面的な共通項として、地方自治といった場合、日本でもアメリカでも議会人、首長を住民が直接選挙によって2元代表制に収れんさせてきたことがありますが、われわれにはそれでこと足れりという誤解があるのではないでしょうか。

昨今の経済・社会状況の下では、一旦、権力を住民側から委譲した途端にすべてを白紙委任にしてしまっているきらいはないであろうか。地方自治は自主独立と権力という二つの側面をもち、たとえ権力の委譲をしたあとでも住民の政治責任はなくならない筈のものです。

13万6千人の人口に至る前の3万人の町政時代から、自治会・理事会は存在しましたが、現在のような行政の下請け機関化はなく、きわめて独立性・独自性が濃いものであったと思います。住民は、伝統的な住民情報を基礎に質の高い代議員を送り出し、市に対して様々な建言をし市もそれを受け入れてきたものです。現在では、一見、市民活動センターをはじめとした、自治活動を受け入れる制度は充実しているかに見えますが、バラマキに群がる集団的組織と化してしまっている側面も否定出来ません。現時点で350団体もの玉石混淆状況が見て取れます。

自治体の統治形態について議論し住民の判断で選択するアメリカの自治体と中央政権国家のわが国のように画一的な統治形態が詳細に規定されている状況とでは大きな差が出てはいないであろうか。言い換えれば、税の使い方に関する住民側の意識と市側の対応に大きなずれは生じていないであろうか。高度成長時代と違い、持続的な経済発展と税の使い方を均衡化していくためには、過去からの流れを一旦止まって見直すという認識が大切です。そうでないと、組織・財政はコントロール不能に陥り、破綻を待つことになります。わが国では、自治体構造や「国と地方との政府間関係」を根本的に見直すべき時期にあると思いますが、「民主主義にかけるコスト」を住民自らが避け、排除してきた(無関心、無党派)意識が強すぎると思われます。その典型がバラマキ政治への甘えです。住民自身が市の経営に参画する仕組みを真剣に考える時期にきているものと思います。

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