わかりあえたら:不寛容時代に/1 住民、漠たる不安 住宅街の障害者ホーム建設 「暮らし壊される」、過熱した反対運動

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毎日新聞 2015年01月01日 東京朝刊2014年4月、グループホーム(右奥)周辺に掲げられたのぼり。3カ月後に撤去された=川崎市内で

2014年4月、グループホーム(右奥)周辺に掲げられたのぼり。3カ月後に撤去された=川崎市内で

 

新しいグループホームで、入居者が縫った刺し子の刺しゅうを手に語らう青野さん(右から2人目)、三橋さん(同3人目)らスタッフと入居者たち=川崎市内で12月、徳野仁子撮影
新しいグループホームで、入居者が縫った刺し子の刺しゅうを手に語らう青野さん(右から2人目)、三橋さん(同3人目)らスタッフと入居者たち=川崎市内で12月、徳野仁子撮影

 

 集会所の置き時計がむなしく時を刻んでいた。2014年3月30日、川崎市北部の住宅街に移転を計画する精神障害者のグループホームと、約20人の地区住民の話し合いは平行線のまま、3時間がたとうとしていた。

「原発も安全と言われながら事故が起きた。精神障害者は本当に安全なのか」「社会的地位の高い住民が多い地域に来ないで」

激しく畳みかける住民の言葉に、ホームの青野真美子所長(55)の顔はこわ張った。

同じ町内の老朽化した一軒家から1キロ離れた新築アパートへ移る予定で、工事は終わりかけていた。だが、話し合いからまもなく、さらに大きなショックが待っていた。工事業者から連絡を受け、駆けつけた青野さんの目に飛び込んだのは、10本近いのぼりと横断幕だった。「精神障害者 大量入居 絶対反対」。夕闇の中、赤い文字が揺らめいていた。

炎を拡大させたのは近くに住む女性医師だ。経営する医院のブログに書き込んだ。「精神障害者にも幸せに暮らしてほしいが、まともに働いて税金を納めている人の生活を阻害してはいけない」。医院の受付に反対の署名用紙を置いた。共感は近隣住民から地区内の子供を持つ親へ広がり、署名は1カ月で1000人を超えた。

ホームの職員は動揺した。「入居者を傷つけるだけかもしれない」。撤退を促す意見も出た。青野さんは、入居者たちに反対運動が起きていることを打ち明けた。

「そういうのあると思ったんだ……」。刺し子が得意な60代の女性がうつむいた。

女性は家庭内のストレスから心を病み、10年前に精神科病院に入院した。2年半の入院後、家族と離れホームで暮らすことを決めた。小さな一軒家での共同生活。誰かが熱を出せばみんなでおかゆを作った。やっとたどり着いた穏やかな暮らし。同じ仲間とのきれいな新居での生活も楽しみにしていた。

6月、完成したばかりのアパートで、近隣住民にホームの雰囲気に接して障害への理解を深めてもらうための会が企画される。女性も住民と直接話したいと思って参加したが、誰も来なかった。その時、初めてのぼりを見て、肩を震わせ泣いた。

数日後、ホームを運営するNPOが市内のホールで文化祭を開いた。支援者ら約200人が見守る壇上に、女性はいた。

「あのアパートに住みたいんです。応援お願いします」

仲間に励まされ、小さな体が声を振り絞った。拍手が湧き、やまなくなった。NPOの三橋良子理事(61)は「偏見を一番知っているのは障害者自身。その彼女たちが強さを見せてくれたことがうれしかった」と振り返る。

7月、事態が動いた。NPOを支援してきた弁護士の呼びかけで弁護団が結成された。さらに、女性医師のブログが障害者のフリーライター、みわよしこさん(51)の目に留まり、「いつ誰が精神障害者になるか分からない」という反論の記事がインターネットに載った。

ネット上で批判が相次ぎ、ブログの書き込みは削除された。弁護団が住民に撤去を求め、のぼりは下りた。

それから4カ月後、私は住宅街を歩いた。

予定より半年近く遅れ、秋からホームでは男女8人が生活を始めていた。周辺に家を構えていたのは、過熱した反対運動とは無縁に見える還暦を過ぎた住民だった。戦後の社会や経済をけん引した世代で、30年ほど前にマイホームを求めた。今は子供も独立し、仕事も一線を退いた。それぞれ口にしたのは静かな老後へのこだわりだ。「今の生活は我慢して作った財産。壊されたくなかった」。だが、心配の根拠は「問題が起きるかもしれない」といった漠然としたもので、障害への深い知識があるわけではなかった。

女性医師の家で玄関先に出てきたのは、医師らとともに運動の中心とされた70代の夫だった。大手企業の元役員だという。

「一番の当事者の住民には何も解決できない」。矛先を向けたのは、13年に成立した障害者差別解消法。グループホーム建設を巡っては各地で住民とのトラブルが起きており、障害者の人権を守るため、付帯決議で建設に住民同意は必要ないと定めた。「今は弱者が強くなっている時代。でも我々も強者ではない。普通の住民なのに」。唇が震えていた。

だが、言葉が途切れた後に、ふと表情が緩んだ。「私もいつか逆の立場になって(ホームの)お世話になるかもしれない。だから悩んだ」

ある住民も「老後の生活に困っても国には期待できない。自分で何とかするしかない」と訴えていた。住民たちも、グループホームの必要性は理解していたのだろう。だが、自分たちが忘れられていくような危機感を抱き、存在を示そうと掲げたのが、あののぼりだったのかもしれない。

年末、ホームの前で、青野さんと入居者たちが白い息を吐き、落ち葉を掃いていた。住民のわだかまりは消えたわけではない。だが引っ越しのあいさつの時は、手作りのお菓子を受け取ってくれた。「一歩ずつですよね」。青野さんが言った。

坂道を下ってきた初対面の女性が、青野さんたちに声をかけた。

「きれいにしてくれて、ありがとう」

笑顔が広がった。【堀智行】

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考え方が違う人、立場が弱い人への攻撃が激しい。多様な価値観や存在を受け入れられない社会の根底には、何があるのだろうか。わかりあえたら。そんな願いを込め、年初に不寛容の時代でもがく人たちと考えたい。=つづく

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