行政の無謬性ということ

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行政の無謬性、すなわち、行政は過ちを起こさない、ということばがあります。
実際、誤りを認めると問題が大きくなる、だから間違ったことをすぐに認めることもできずに、それを取り繕うという小細工をするというのが現実です。そのため、ますます墓穴を掘って誤った方向に行きがちだということもいえます。

今の時代、ややもすれば、社会も学校も「楽しければいい」的な発想が中心になっています。しっかりと議論する能力をもたない議会に代表される’大人社会’では、議論のできる子どもも育ちません。社会全体が思考することを敬遠してきた結果ではないでしょうか。

別のことばで言えば、「バレなければ悪いことをしても問題はないのだ」的な、無責任な世の中になってしまったような気がします。トラバ先の記事等を読むにつけ、行政のごかましや事なかれ主義が目に余ります。 明らかに行政に問題があり、自分たちのミスであっても決して非を認めない頑迷さ、市民が行政の仕組みに疎いことをいいことに、バレることはないだろうと適当についた嘘は、市民の負担になって返ってきます。ましてや恫喝に至っては徹底的な追求が必要です。無法状態の放置は住民自治の放棄です。企業では問題が起きたときには企業コンプライアンスで対応をします。問題前のことは消費者に対してのCSRで対応することが習いです。自治体に於いては自治基本条例がその役割を果たすのですが、、。

行政の誤謬性は何故生じるのだろうか。一つの鍵は、何期も続けてこられた首長には事業仕分けができない、というところにあるのではないでしょうか。自分のやってきたことを否定することにつながりかねないことから消極的になり、施してきたことに誤謬性の指摘があっても認めようとはしない、ということになりがちです。新任の首長ならば、逆なんですがね。
行政の無謬性にこだわっている限り、物事の改善は進まないのです。クリック
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