4/11から何気なく見始めたTBS 6CH、金曜日夜10pm「アリスの棘」は、昨夜で5回目(暴かれる父親の死)となり、いよいよ来週以降は佳境に向かうようです。
ドラマとはいえ、短時間の中でよく人間の嫌らしさ、退廃的知性を抉り出しているのではないかと感心する。ひとは本来、年に拘わらず未成熟なもので、行為の正当性を様々な形で粉飾・隠蔽しながら生きているものだと見ることもできる。
オレオレ詐欺もこの数年、日本人の専売特許のごとく、なかなか無くならない。盗人ににも三分の理があり、実行部隊の上から下まで、犯罪意識が希薄な上、軽犯罪程度の意識しかないのだろう。そもそも、罪の意識が低いのだから、いくら警察が取り締まっても刑罰の軽い日本では、無くなるものではないでしょう。見ている一般人も、そういう悪いやつも居ようが、自分とは関係ないといった受け止めに留まっているのではないでしょうか。つまり、自分には関係ない、当局に任せておけばいい、という考えです。
日常生活に潜む、煩わしいことには関わりたくないという考えは、尤ものことで、一々目くじらを立てていたのでは身が持たない。そのとおりでしょう。それでも時には私を滅し公を意識的考えるときも大切かと。
問題は、この社会が様々な面で病んでいることを直視し、悪事を後世に引き継いではならないということだと思います。そのためには、成熟した社会を残すためにどうしたらいいのか、という基本姿勢をしっかりと持つという問題意識を社会が共有することだと思います。これは、当たり前のことですがなかなかできない。理念よりも個人的損得が優先し、ものごとを公正に見ることができないというのが人間の本性だからです。しかし、それであっても是は是、非は非として、民主的に解決していく社会的認識、倫理的思考を憲法のごとくすべてに優先することが重要なのではないでしょうか。最近の天声人語を引用しておきます。
*****西郷隆盛の遺訓集に〈文明とは道の普(あまね)く行はるゝを賛称(さんしょう)せる言(げん)にして〉とある。道義なり道徳なりによって世の中が動いていくことを文明という。文明は豪壮な宮殿や華美な衣服のことではない。*****
今年の市長選のみならず、噴出している行政と民意の乖離拡大・不公正な税金支出の拡大化の現状を踏まえ、来年にもある議会選挙を足下から考えてみるのも良いのではないでしょうか。