今日はみどりの日

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今日はみどりの日(昭和天皇の誕生日)

日本には神話の世界が現実の社会に厳然として存在する、世界でも希有な国柄です。それが祖法であるからです。
ちかごろ話題となっている君が代唱歌をめぐる問題は、その是非は別として、多分にこのことに由来しています。
ご参考までに、産経新聞から(平成24年5月2日朝刊)「先帝陛下の大御心」の記事を引用します。
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先帝(昭和天皇)陛下は昭和24年、佐賀県に行幸(ぎょうこう)された。敗戦で虚脱した国民を励まされる全国御巡幸(ごじゅんこう)の一環で、ご希望により因通寺という寺に足を運ばれた。地元の友人から聞いたその際の逸話に、陛下が背負い続けた深い悲しみと苦しみが滲(にじ)む。住職・調寛雅(しらべ・かんが)氏の著書「天皇さまが泣いてござった」(教育社)に詳しいが、そのお姿は「刻苦」を正面から引き受ける修行僧のようでもある。
寺では境内に孤児院を造り、戦災孤児40人を養っていた。陛下は部屋ごとに足を止められ、子供たちに笑みをたたえながら腰をかがめて会釈し、声を掛けて回られた。
ところが、最後の部屋では身じろぎもせず、厳しい尊顔になる。一点を凝視し、お尋ねになった。
「お父さん、お母さん?」
少女は2基の位牌(いはい)を抱きしめていた。女の子は陛下のご下問に「はい」と答えた。大きく頷(うなず)かれた陛下は「どこで?」と、たたみ掛けられた。
「父は満ソ国境で名誉の戦死をしました。母は引き揚げ途中で病のために亡くなりました」
「お寂しい?」と質(ただ)された。少女は語り始めた。
「いいえ、寂しいことはありません。私は仏の子です。仏の子は、亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に行ったら、きっとまた会うことができるのです。お父さんに、お母さんに会いたいと思うとき、御仏様(みほとけさま)の前に座ります。そして、そっとお父さんの、そっとお母さんの、名前を呼びます。するとお父さんも、お母さんも私の側(そば)にやってきて抱いてくれます。だから、寂しいことはありません。私は仏の子供です」
陛下は女の子の頭を撫(な)で「仏の子はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」と仰せられた。見れば、陛下の涙が畳を濡(ぬ)らしている。女の子は、小声で「お父さん」と囁(ささや)いた。陛下は深く深く頷かれた。
・・・・後略・・・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120502-00000517-san-soci

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今日はみどりの日 への1件のコメント

  1. admin のコメント:

    君が代、国旗斉唱なぜしない人がいるのですか?
    というタイトルで、出ておりました。人は千差万別な考えをその人の出自・その後の教育等で持つに至ります。
    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/687270.html
    読んでみると参考になりますよ。

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